そして私はそれすらできなくなった

勉強が出来る=頭がいい?
404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい?


http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1


僕もまぁ、そういう「勉強ができる子」だった。というか、他に何もできなかった、と言うべきか。


子供の頃から活字中毒だった。
トイレにあるトイレットペーパーの包装すら読むような。
あまり「本」が家になかったので教科書が本の代わりだった。
読み過ぎて予習になってしまって先生から禁止令が出たりとか^^;
ニュートンとか図鑑とかが好物だった(まぁ、これは過去形じゃないけど


小さい頃は欲しかったのは別に本だけじゃなく、
ブロックとかそう言う物だったけど、動物の関節の再現とか、そういうよくわからんことに終始してた。


図書委員もよくやった。
高校の頃はそうじゃないときもなんだかんだで手伝ってた。


理解できない、と言うのがわからないからどうも認識のずれが生まれた気がする。
僕の場合+αで人の機微をどうやってもうまく読み取れない、というもんだからどうしようもなく阻害される。
だから「頭がいいのになんであんなに空気読めないの?」とか言われたそうだ。

「勉強ができる」=「要領がよくて小狡いやつ」としか見ない人たちには、私が本や教科書の中に、どれほど豊穣で、愉快で、ときに苦しくて、哀しい世界を見ているか、伝えたくてしかたなかった。
「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記

本の世界のすばらしさ、と言う物を理解してはいたが私は人に伝える、ということがどうしてもダメだった
今でもダメだ
人と意思疎通する、と言うことが怖くてしょうがない
人に聞くと言うことが怖くて仕方がない
人に聞けないから没落した


それでも、これだけは
本人の能力にはそれがどういうものであっても評価する、と言うことだけはしたい。
それだけが、今自分にできること、思っているから。